京都観光 京菓子 京菓子の歴史

2021.10.29 (金)

京都観光 京菓子 京菓子のルーツ

日本の菓子のルーツは、木の実や果物です。もともと「果子」であったといわれています。また儀式などの供物として、餅類の加工品が作られてきました。これらを原形に、中国から伝来した唐菓子、喫茶とともに広がった点心、十六世紀にヨーロッパから伝わった南蛮菓子などの影響を受け、日本の菓子は独自の発展を遂げました。京菓子は、京都千二百年の歴史と文化に育まれ、大成されたもので、まさに日本の菓子の歴史でもあります。

京都観光 京菓子 唐菓子の伝来

唐菓子(からくだもの)は、遣唐使が唐から持ち帰ったもので、小麦粉などの穀類を加工し、油で揚げる製法です。八種唐菓子と言われたのが、梅枝(ばいし)・桃枝(とうし)・鞨鼓(かっこ)・桂心(れいしん)・点睛(てんせい)・篳篥(ひちら)・鎚子(ついし)・団喜(だんき)です。その他混沌(こんとん)・索餅(さくへい)・煎餅(せんべい)などがあります。平安時代には二十種類ほどの名が知られ、社寺や宮中の宴会で供されました。

京都観光 京菓子 点心の普及

鎌倉時代、栄西禅師が禅とともに茶を持ち帰り、喫茶や点心の風習が広まりました。点心とは決まった時間以外にとる間食のことです。茶と一緒に、饅頭・羊羹・水繊(すいせん)・水晶包子・索麵(さくめん)などを食べたそうです。材料や製法は不明のものも多いのですが、時代とともに、もともと汁物であった羹(あつもの)類は羊羹になり、水繊は葛切り、水晶包子は葛饅頭に変化しました。当時の点心は、砂糖が極めて貴重な輸入品だったため、甘くないものがh3ljr主流でした。点心には、羊羹や饅頭など、現在の京菓子の源流を見ることができます。

京都観光 京菓子 南蛮菓子の影響

室町時代末期、ポルトガル人から伝えられた南蛮菓子は、京菓子に大きな影響を与えました。カステラ、ボーロ、金平糖、有平糖、鶏卵素麵など現在にまで伝わる物も多くあります。日本の菓子との大きな違いは、きちょうひんだった砂糖を大量に使い、卵や油を用いるところです。濃厚甘美な南蛮菓子は、日本人を魅了し、キリシタン宣教師も布教に使用したことから、急速に普及しました。

京都観光 京菓子 京菓子の大成

それまでは一部の上層階級の嗜好品だった菓子ですが、華やかな町人文化が栄えた江戸時代の元禄期には、庶民にも普及しはじめます。京菓子が大成したのも、その頃と言われています。

安永四年(1775)菓子の粗製濫造を防ぐため、菓子屋を二百四十八軒に制限する上菓子屋仲間が出来ると、ますます京都の菓子技術は向上しました。さらに茶の湯の発展に伴い、趣味・趣向を用いた菓子や、有職故実にちなんだ有職菓子などが作られるようになり、菓子にも文学性や芸術性がこめられるようになりました。

茶の湯の菓子では、濃茶用の主菓子(蒸し・生菓子)、薄茶用の干菓子(落雁・煎餅・有平糖など)があり、いずれも花鳥風月や風景など、風雅な日本的感性を表現したものが多く生み出されてきました。また茶道の家元の好んだ菓子を好み菓子というようにもなりました。京菓子は、外来文化などの影響をもとに、宮廷文化や茶道などと結びつき、現在の形に発展してきました。

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